「日々是好日」から考える
奥深い言葉で考えさせられてしまいました
息子のクラス通信のタイトルがこの言葉で、
最近改めて意味を調べてみると
いろいろと奥深い言葉で考えさせられてしまいました。
表面上の意味は「毎日毎日が素晴らしい」と読み取れる言葉ですが、
禅語のため、いろいろな解釈があります。
「毎日が良い日となるよう努めるべきだ」
「嬉しいことがあった日も、つらいことがあった日も、
その一日は二度とこない一日であり、かけがえのない一日である」
「一瞬一瞬を大事に、いつも新鮮な気持ちで自分の生き方に手を抜かないことが、好日をもたらす」
「晴れの日も雨の日も大事な一日であり、つらいことも悲しいことも受けとめ、
一日一日を大事に生きること」
生きる幸福を何から得られるか
仕事をバリバリしている時や、子育てに奮闘している時には
努力して喜びを得られる事ってすごく多いと思います。
特に、夢を掲げてその夢に向かう日々は、
苦しい時もありますが、努力をした日々から得た幸福はそれに勝るものがあり、
それこそ生きる喜びで、ものすごいエネルギーだと思います。
でも人間、いつまでも夢を追いかけてはいられません。
仕事も子育ても区切りがあります。
そうなった時に、では何から幸福を得られるのか。
生きる喜びを何から見出していけるのか。
社会の第一線から離れる歳になった時に、
この「幸福を得る力」っていうのはものすごく大事な能力だと思うのです。
そのためには、ありがちな言葉にはなりますが
「人の優しさや思いやりを素直に受け入れる感謝の心」が大事なのではないでしょうか。
人との触れあいを当たり前にできる時には気づけない事かもしれませんが、
小さな幸せを感じ取りながら生きていきたいなと思いました。